アブラハムが巡った土地を踏みしめる体験 (トルコ)

ハラン (Harran) を訪れることは私の長年の夢でもありました。ハランとは旧約聖書に出てくる古い古い都市の名前で、アブラハムが時を過ごした都市でもあります。

アブラハムはウルという都市を出て現在のパレスチナにあるカナンへ移動しますが、その途中でハランに一定の期間滞在します。同行していたアブラハムの父親テラはこのハランで亡くなります(創世記11章と12章)。今のトルコではシャンルウルファと呼ばれる町にあります。

ハランという名前に聞き覚えがなくても、こんな風景は目にされたことがあるかもしれません。

現在のハランの様子。とんがった屋根の家々が何とも可愛らしい。とはいえ、こうした家々は煉瓦と泥でできているので長持ちしません。現在では、ハランのごくごく限られたエリアに歴史的建造物として保全のために残されている程度です。

このとんがった三角屋根の家々の中に入って見学も可能です。今回ガイドをかって出てくれたのは、父親がこの家々の持ち主だったという男性。父親が所有していたこの家々は築200年以上経っていますが、修復を重ねて現在に至ります。

実は彼らは450年前にイラクから移動してきたアラブたちです。ですから現在でもハランではアラビア語が普通に話されています。もちろん国籍はトルコ人なので、トルコ語も問題なく話せます。とはいえ彼らのアイデンティティはアラブ。

↑ 左上の写真は、三角屋根の家の中から天井を見上げたところ。右上の写真は、キッチンにあるヨーグルトを作るための道具です。


1つ1つのとんがり家は約2000個の石でできているそうです。夏は50度近くになるこのエリア。この土レンガで作られた家は夏はとてもヒンヤリとしています。冬になると家のそれぞれの部屋で火を焚いて寒さをしのんでいたということです。熱い空気と煙が三角の天井に上がり家を温めていました。ですから天井は黒くなっているとのこと。見上げてみると確かに黒い。

 

こうした家々はウマイヤ朝時代に建てられたものだそうで、実はアブラハムとは関係がありません。聖書によるとアブラハムはテントに住んでいたので、こうしたレンガ造りの家には住みませんでした。そもそもアブラハムの時代には、こうした家はありませんでした。

屋根が連なっていますが、それぞれが部屋としての役割を果たしていました。つまりこの家々は内部でつながっています。

 

さて、このハランはアラブラムが旅の途中に滞在しただけの都市ではありません。アブラハムの兄弟であったナホルがやがて住むようになり、アブラハムの孫ヤコブがナホルのひ孫娘と結婚して14年以上住んだ都市でもあります。聖書に本当にゆかりのある場所です。

 

アブラハムの孫ヤコブについては他にもゆかりのある場所がこのハランにあります。それがこちら↓

↑「ヤコブの井戸」と呼ばれている井戸です。三角のとんがり屋根のエリアから車で7分ほど走ったところにあります。

聖書の創世記を読むと、ヤコブの物語が生き生きと描かれています。ヤコブは父親のイサクたちと共にカナンの地 (今のパレスチナ) に住んでいたのですが、双子の兄エサウの怒りを買って命の危険にさらされていましたし、結婚相手を探す必要もあったので、親族が住んでいたハランに旅をします。

ヤコブが長旅の後にこの井戸にたどり着いたとき、ヤコブの従姉妹にあたるラケルが羊の群れに水を飲ませるためにちょうどこの井戸にやってきます。それがヤコブとラケルとの出会いです。のちにこの2人は結婚します。当時はいとこ同士の結婚が普通に行われていたようです。実はこれ、今でもアラブたちは普通にしているんですけどね…。

ラケルの父親のラバンは姑息な手を使う人で、このラバンの策略によってヤコブは、最終的にラケルだけでなくラケルの姉レアの2人と結婚する羽目になります。この辺の記述は聖書の創世記の29章をぜひお読みくださいね。こうして自分の意志ではありませんでしたが2人の妻を持つようになったヤコブは、12人の子供たちの父親となり、この12人の子供たちがイスラエル国民の基礎となりました。

そんなヤコブの井戸、今ではこの周りにはシリア難民がたくさん住んでいます。私たちがヤコブの井戸を観光しているときに、シリア難民の子達がうじゃうじゃと集まってきました!

トルコ南部にひっそりたたずむ聖書時代の遺跡たち。華やかな観光地ではありませんが、聖書の記述に思いをはせると古 (いにしえ) の過去にタイムリップしたような気がします。

アブラハムもヤコブも踏みしめたこの大地…聖書に通じておられる方にもそうでない方にも是非訪れてほしい貴重な遺跡です。

↓ お楽しみいただけたでしょうか? ポチっと応援してくだされば嬉しいです。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村