ヨルダンには預言者モーセにちなんだ場所があります。旧約聖書の中で大活躍する預言者モーセは、120歳の時にこのネボ山の頂上から約束の地パレスチナを望み見た後に、この山の上で亡くなります。

もやの向こうに見えるのがイスラエル。雨が降った後など空気が澄んでいるときはイスラエル側がはっきり見えます。残念ながら私が行った日はもやがかかっていて見えませんでしたが…。

上の写真は、ネボ山からパレスチナ側のどの都市がどの方向に見えるかを示したものです。
ネボ山は死海にほど近い場所にあり、標高が820メートルほどあります。この付近は荒涼とした岩と砂だらけの荒野です。ネボ山はこの地域一帯を見渡すことができる高台です。
旧約聖書を読むと、モーセが総勢300万ともいわれるイスラエル人をエジプトから約束の地(パレスチナ)まで率いたことが記録されています。イスラエル人はパレスチナに実際に入るまで40年間、荒野で生活をします。
この40年が終わろうとしていた時、神はモーセにネボ山に登るように言われ、モーセはその高台から “乳と密の流れる地” パレスチナの風景を北から南まで見渡します。その後モーセはネボ山で死にますが、聖書にある通りモーセのお墓がどこにあるのかは分かっていません。
“神は,ベト・ペオルに面するモアブ地方の谷にモーセを葬った。今日まで,彼の墓を知る人はいない。モーセは死んだ時,120歳だった。目はかすまず,力は失われていなかった。” ―申命記34章6、7節
このネボ山はカトリックのフランシスコ会の所有物となっています。長い間教会が修復中だったのですが、現在では新しい教会が完成していてモザイクなどが展示されています。

イタリアの芸術家によって作られたネボ山のシンボルともいえる十字架。蛇が巻き付いています。
これは、イスラエル人が荒野をさまよっていた時に、蛇の毒から人々を救うためにモーセが銅の蛇を作ったという聖書の記述にちなんでいるのかもしれません。
あるいは、エジプトのファラオの前で杖を蛇に変えてみせたモーセの奇跡にちなんでいるのかもしれません。
モーセが持っていたのは単なる杖だったので、なぜモニュメントが十字架になるのかは少し不明ですが、まぁ十字架は教会のシンボルですからね。

モーセが亡くなった後、30日間の喪の期間を終えてから、イスラエル人たちはついに “乳と密の流れる” 約束の地パレスチナに入ります。このように、ヨルダンには旧約聖書にちなんだ場所がたくさんあるのですが、このネボ山はその中でも外せないスポットの一つです。
この辺りの景色は本当に何もない、ごつごつとした荒野なのですが、この景色が何とも言えず魅力的でもあります。中東を代表する荒涼とした景色で、私は個人的には大好きです。
このネボ山から17キロほど離れたところに死海があります。死海に流れ込むヨルダン川流域は水が豊富なので、野菜や果物がたくさん栽培されています。
アンマンと死海を結ぶ道路では野菜や果物が売られていることもしばしば。ヨルダンに住んでいたころは、この道で野菜をよく買っていました。豪快に積み上げられた人参を見てください! でも安くて美味しいんですよね。何より新鮮! キロ単位でお買い上げです。


ヨルダン川流域で野菜や果物がたくさん栽培されていると書きましたが、付け加えておきますと…。実はヨルダン側とイスラエル側どちらもあまりにも水を使いすぎているので、ヨルダン川の水は死海に到達する前に使い切られてしまい、死海には水が注がなくなっています。そのため死海は年々小さくなっていて、30年もすれば消失するだろうともいわれています。
死海を守るために色々なプランが考案されていますが、現実はかなり深刻なのであります…。

死海に行かれる方は、少し足を延ばしてぜひこのネボ山にお立ち寄りくださいね。荒涼とした荒野を見ながら、預言者モーセが歩いたこの地を同じように踏みしめてみてください。
ちなみに私は高校の時の歴史のテストで、モーセを「モーゼ」と書かなかったために点数をもらえなかったことがありました! でも実際は「モーセ」も「モーゼ」も正解です。もちろん歴史の先生には直訴して、最終的には点数をもらえました(笑)。英語では Moses で、アラビア語ではمُوسَى (ムーサ)なので、日本語でも本当は「モーセ」が正しいと思いますがね。ま、どちらでもヨロシ。
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