上の断面図は、とあるサイトからお借りしました→(ココ) 見学可能なのは黄色の部分。
まだすべてが発掘されているわけではないようですが、考古学者たちは、デリンクユ地下都市は全て発掘されると地下18階ほどになるのでは、と見積もっているとか…。実はカッパドキアの大地にはこうした地下都市がいくつも眠っているようです。
デリンクユ地下都市は地下奥深くまで外からの新鮮な空気が入るようにきちんと換気用の穴が掘られていて、最大で2万人を収容できたらしい。
家畜を飼うための厩舎(キゅうしゃ)もあります。つまりここは敵からの襲撃の際に家畜もつれて避難するようなシェルターとしての役目を果たしていた時期もあったようです。
とはいえ、このデリンクユを誰がどんな目的で最初に建設したのかということについては、いろいろな意見があるようです。岩を掘っているために年代を突き止めるのは難しいようで、始まりはヒッタイト人の時代にまでさかのぼるともいわれています。いずれにしても、この地下都市は何世紀にも渡って多くの民族によって占領されてきました。
デリンクユは、何度も拡張を重ねており、ローマ時代のクリスチャンへの迫害を逃れるために使われた時期もあれば(西暦2-3世紀)、イスラム教が支配した時代に迫害を逃れたクリスチャンたちの隠れ家としても使われた時期もあったようです(西暦8-10世紀ごろ)。